家づくり記録 Nさん

NO.5

2006.10.01

7.まさかの・・・

 予想ははずれ、梅雨前線は停滞したままです。マンションの明け渡しの時期を考えると、少しでも早く着工したかったので、7月半ばの大安の日に地鎮祭を行いました。工務店のMさん、基礎工事を担当するWさん、久米さんに私たち家族5人が出席して、近所の神社の神主さんに神事をお願いしました。いよいよここまできた、と厳粛な気持ちで神主さんの祝詞を聞いたものです。幸い梅雨の晴れ間で、時おり夏本番を感じさせる強い日差しを浴びながら滞りなく式を終え、工事の看板も立ちました。式の後みなでお昼をいただいていると、急に雲が出てきて、文字通りバケツをひっくり返したような雨になりました。その日から数日雨は降り続き、あのタイミングで地鎮祭ができたのは幸運だった、とこのときは思っていました。

 実は地鎮祭は強行したものの、M工務店との工事請負契約はまだ結べていませんでした。久米さんは契約前に地鎮祭をするのはどうか、と躊躇されていたのですが、地鎮祭後すぐに契約できるものと思っていたので、進めました。工務店さんが、土用の間は地鎮祭を避けたほうがよいというので、なんとか土用の入りまでに済ませようとしたせいもあります(普段はどちらかというとしきたりや迷信、縁起をかつぐようなことは気にしないほうなのですが、大事な家作りでなにかあってはと思うと、いけないといわれることは極力避けたくなりますね)。

 

 それから暑い夏が過ぎて、秋風が吹く9月も終わろうとしています。ほぼ2ヶ月が過ぎましたが、現場は更地のまま。工事は何も始まっていません。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

 

 最初の概算見積もりの後、より詳しい図面をもとに最初の見積もりが出ました。ついつい家具を増やしたり、値段の高い方の仕上げを選んだりで、金額が上がるのは予想していました。あれもこれもと夢想していた日々は終わり、予算という現実を前に、ここからは、絶対に必要でないものはやめ、程度を落としてもいいものは落とし、似た仕上がりで値段の安い品があればそれに替える、といったどちらかというと寂しい作業が続きました。でも家作りのためには避けられない道です。なんとか100万、できれば150万さがれば、と次の見積もりを楽しみにしていました。ところがどういうわけか、前の見積もりより金額が上がっているのです。見積もり忘れがあった?前にはなかった項目が増えている?なにがなんだかわかりません。そんなに分不相応な家を建てようとしているのだろうか、と暗い気持ちになりました。でも予算に近づけなければ着工できません。さらなる設計変更で減額の項目を詰めていきました。しかし待って待ってようやく出た次の見積もりは、また上がっていたのです!

 工務店が夫の知り合いだった、というのが話をややこしくしたのかもしれません。本当ならもっと早い時期に、ここに頼んで無事に工事が進むのか、という点をしっかり見極める必要があったのでしょう。まさか悪気があってこんな見積もりを出しているわけではないだろう、いろいろ普段のやり方と違うことをお願いしているので戸惑っているのだろう、と思っているうちに、予算との開きは数百万円まで広がっていました。悪いことに地盤のボーリング調査の結果、支持層がかなり深いことがわかり、杭を打ったほうがよいということになりました。また隣家と共有のブロック塀が、駐車場のスロープのために掘り下げると倒れる恐れがあるということで、新たに基礎からやり直す必要が出てきました。これらの分は予算に上積みするしかありません。いろいろな減額案を出し尽くしたあとで、さらに数百万というのはどう考えても難しい。もうこうなったら大きな設計変更とPSヒーターをあきらめるしかありません。

 見積もりだけでも十分大きな問題だったのですが、工務店さんと久米さんの、打ち合わせや現場監督の役割についての認識の違いも大きかったようです。久米さんからほかの工務店に見積もりを出してもいいかという提案があり、M工務店さんには本当に申し訳なかったのですが、それを受け入れることにしました。

 京都のT工務店さんといい、久米さんのお知り合いの紹介です。きちんとした見積もりを出してくれ、(すでに材木の打ち合わせがかなり進んでいたため)材木は施主支給という条件も受け入れてもらえました。ただやはり竣工は3月になるということで、マンションの引渡しには間に合わず、仮住まいの必要が出てきて頭の痛いことになりました。夫は最後までM工務店で進めることにこだわっていましたが、とうとう工務店を替えることを仕方ないことと了承。もちろん見積もり一回で契約とは行かず、さらに若干の変更をし、でもすぐにそれを反映した減額の見積もりが出てきて、無事契約の運びとなりました。私が9月から復職し、昼間に対応できないため、夜7時半からの契約です。こんなにここにたどり着くまで時間がかかったのに、わざわざ久米さんにも遠くから来ていただいたのに、なんだか申し訳ないくらいあっけなく終わりました。とにかくやっと前に進めることができうれしかったです。

 当初の予定が延びに延びて、10月着工となりました。本当にこの2ヶ月ほどは、あのキッチンの騒動なんてかわいく思えるくらい、精神的にしんどい日々でした。現場が更地のまま工事が進んでいないのをみるのは結構つらかったです。やっと工事が始まるということで、解体工事前に挨拶まわりをしたご近所に改めて挨拶にうかがったのですが、案の定「いつまでも更地なのでどうしたのかと思っていた」と言われてしまいました。

 

久米から一言… 

 

Nさんが書かれているように、丸2ヶ月、状態は見積もり中のまま、停まってしまっていました。(それで、家つくり日記が、止まっていたのです…)

 

今考えれば、滋賀県の物件だとはいえ、初めから周辺都市の工務店さんも範疇に入れて探すべきでしたが、「地元」ということにいささかこだわっていたこともあり、私の判断も悪かったことを反省しています。 初めのM工務店さんの見積もりが結局うまく行かなかったことには、色んな説明があるかと思いますが、2回減額変更をしたのに、それが2回とも逆に見積もりが上がって提出されてしまうという状況は、工事がスタートした後のことを考えると、たとえ予算の折り合いがついたとしても、やはり、そのまま契約するのは難しいと判断しました。(Nさんには私から率直な意見を申し上げたので、お気に触られたのではと申し訳なく思っています。)

もっとも、T工務店さんの見積もりのほうが安かったのですから、T工務店さんに決まったのも、相見積もりという点からすれば、通常の成り行きだと思います。

 

また、敷地の地盤についても、あらかじめ土地選びからご相談いただいたことを考えると、ご予算組が狂って、申し訳なく感じています。

いつもの通り、周辺の参考ボーリングデータを取り寄せたのですが、そのデータが大変硬い地盤(山手の宅地開発されたところ)だったので、私もつい安心してしまいました。

 

ただ、不幸中の幸いがあるとすれば、それは、地盤調査を簡易な「サウンディング式」(木造住宅ならば、大概はこの方法が採用されます。)ではなく、きちんと地質のサンプルまで採取する、「ボーリング」を行ったからこそ、地盤の弱みが発見されたということです。

造成地であるが故、万一のことがあってはと思い、費用がかさむボーリングにしていただいたのですが、ボーリングに立ち合って居るとボーリング中に出てきた礫(レキ・小さな石のかけら)が触るとすぐにぽろぽろと崩れていくのです。おかしいな、と不思議に思ったのですが、結局最後にわかったのは、敷地の上層部は埋め土だった(以前、沢だったところを埋めて造った敷地)ということでした。 礫は埋め土で攪拌されて、風化していたのでした。

地盤の固さとしては、調査時の数字だけ見ればそのまま家を建てても大丈夫そうでした。

(ですから、簡易な調査であれば、なんだか思ったより硬さが足りないけど、まぁ、このくらいあればいいかぁ…という感じで普通の基礎になったでしょう。)

ただ、埋め土の場合は、地震時に元の地盤との境界で大きくずれる心配があるため、コストはかかりますが、せめて最小限度の杭を打っていただくほうが安全と意見させていただきました。(偶然ですが、杭を打つことを決定した後の、先日の朝日新聞に全く同じことが掲載されていました。)

阪神大震災のとき、西宮で、「木造住宅なのに杭を打つなんて」と笑われながら建築した家だけが、ぽつんと壊れずに残ったという話を聞いている私は、やはり、杭をお勧めせずにはいられませんでしたが、こういうことは、人によってその都度異なる意見がでるものです。

 

この2ヶ月はNさんは本当にお辛かったことでしょう。よく辛抱していただいたと感謝しております。しかし、とにもかくにも…いよいよ工事はスタートしました!

何度か減額変更したと書かれていますが、でも、結果的にはもとのプランは殆ど変わらず、お陰さまでコストダウンできたのです。 (今日は長いコメントでした!)


 

- GekkanNZ 誌 2018年7月号より
  「建築探訪」連載中です。

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- 一般社団法人海外建設協会(OCAJI)

  会報誌 海外生活だより に寄稿させ

  ていただきました。

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